須恵町
すえまち ![]() 須恵町 | |||||
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![]() 皿山公園のあじさい園 | |||||
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国 |
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地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 福岡県 | ||||
郡 | 糟屋郡 | ||||
市町村コード | 40344-0 | ||||
法人番号 | 6000020403440 | ||||
面積 |
16.31km2 | ||||
総人口 |
29,191人 [編集] (推計人口、2025年4月1日) | ||||
人口密度 | 1,790人/km2 | ||||
隣接自治体 | 飯塚市、糟屋郡粕屋町、篠栗町、志免町、宇美町 | ||||
町の木 | ヤマモモ | ||||
町の花 | ツツジ | ||||
町の鳥 | ウグイス | ||||
須恵町役場 | |||||
町長 | 平松秀一 | ||||
所在地 |
〒811-2193 福岡県糟屋郡須恵町大字須恵771番地 北緯33度35分14秒 東経130度30分26秒 / 北緯33.58725度 東経130.50717度座標: 北緯33度35分14秒 東経130度30分26秒 / 北緯33.58725度 東経130.50717度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
須恵町(すえまち)は福岡県糟屋郡の町。福岡市の東に位置する。
正式表記は「須恵町」だが、住民基本台帳や戸籍では「須惠町」の字を使用する。
地理
[編集]福岡県の中央部よりやや北西寄り、福岡市の東約10kmの場所に位置する。町西部には粕屋町・志免町にまたがるボタ山が残っている。
福岡都市圏の一部である。町の中央部を須恵川が東西に流れており、その源流には須恵ダムがある。町東部は山地で、飯塚市との間に通じる道路は「ショウケ越」と呼ばれる険しい峠道である。中心部は町の南西部。
近年では、町北西部から南西部にかけて、福岡市のベッドタウンとしての開発が進んでおり、住宅数が急増してきている。
隣接している市町村
[編集]歴史
[編集]須恵の町名は、古墳時代に須恵器が当地で生産されていたことに由来するといわれている。江戸時代の1764年には福岡藩の御用窯が設置されたが、明治時代に廃された。明治から昭和にかけては炭坑村として有名だった[1]。
近現代
[編集]- 1888年(明治21年)新原が、海軍予備炭山に指定される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、糟屋郡植木村、上須恵村、佐谷村、新原村、須恵村及び旅石村の区域をもって、糟屋郡須恵村が発足する。1月 - 海軍予備炭山新原第一立坑(深さ30㍍)開坑。10月 - 海軍予備炭山新原第二立坑開坑。
- 1890年(明治23年)新原採炭所開設。
- 1900年(明治33年)海軍採炭所に改称。新原第一立坑、新原第二立坑廃坑。
- 1904年(明治37年)1月1日博多湾鉄道西戸崎駅~須恵駅間開業。6月10日須恵駅から仮線で新原迄運行。新原第四坑開坑。
- 1905年(明治38年)6月1日博多湾鉄道須恵駅~新原駅開通。12月29日新原駅~宇美駅開通。
- 1909年(明治42年)博多湾鉄道(旅石支線)酒殿駅~志免駅開業。
- 1911年(明治44年)旅石第六坑閉坑。
- 1915年(大正4年)3月11日博多湾鉄道旅石駅開業。志免駅~旅石駅間の旅石支線開業。
- 1951年(昭和26年)新原第四坑廃坑。粗坑業者新栄鉱業に良品は国鉄納入の条件で許可。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 町制施行して、糟屋郡須恵町となる。
- 1954年(昭和29年)2月2日 - 町内の新栄鉱業所の坑内で爆発事故があり、15人が死亡する[2]。
- 1960年(昭和35年)旅石第六坑廃坑。旅石駅廃止。旅石駅~志免駅間廃止。
- 1973年(昭和48年)7月31日 - 前日夜から宝満・三郡山系地域で発生した集中豪雨により被災。
歴代町長
[編集]- 中嶋裕史(2002年5月1日 - 2018年4月30日)4期
行政
[編集]町長
[編集]- 平松秀一(2期目)
- 任期:2026年4月30日
町議会
[編集]- 定数: 14人
- 任期: 2027年4月30日
主な施設
[編集]- 町立歴史民俗資料館
- アザレアホール須恵(須恵文化会館)
- カルチャーセンター
- 須恵町立図書館
消防
[編集]- 粕屋南部消防本部
- 南部消防署(志免町)
警察
[編集]地域
[編集]人口
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須恵町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 須恵町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 須恵町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
須恵町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
教育
[編集]小学校
[編集]中学校
[編集]高等学校
[編集]産業
[編集]かつて海軍が予備炭山に指定した新原採炭所から始まった石炭産業で栄えたが、昭和30年代後半のエネルギー革命で衰退。跡地を新原公園と工場団地として再生を図っている。
名所・旧跡・観光
[編集]- 皿山公園 - 高台にある町立の公園でツツジやアジサイが植えられている。
- 福岡藩磁器御用窯跡
- 町立美術センター久我記念館 - 坂本繁二郎を発掘した画商・久我五千男の個人美術館が前身で久我の死後に須恵町に寄贈され町立の美術館となった。
- 岳城山
- 旅石八幡宮
- 海軍燃料廠採炭部 新原採炭所本部跡(新原公園)
- 西原硬山(志免鉱業所の硬山=ボタやま);形状が整った状態。須惠町、志免町、粕屋町の堺に在るが、主に須惠町内になる。
交通
[編集]空港
[編集]福岡空港が最寄り。
鉄道路線
[編集]
- 九州旅客鉄道(JR九州)
海軍炭鉱の石炭輸送用を主目的として博多湾鉄道汽船が開業した路線が前身で、現・須恵町域内は1904年から翌年にかけて開通し、域内に須恵・新原の2駅が開業した。1942年に博多湾鉄道汽船が他4社と合併し西日本鉄道が成立したことで同社の路線となったが1944年には戦時買収により国有化。その後日本国有鉄道→JR九州の路線となった。現在は旅客営業のみとなり1989年3月11日には須恵町中心部近くに須恵中央駅が開業した。
博多湾鉄道汽船では他に1909年から1915年にかけて酒殿駅 - 志免駅 - 旅石駅間に貨物専用の支線を開業。須恵町域内には旅石駅が設置され主に海軍炭鉱第六坑(現在の須恵高校所在地)の石炭輸送に使用された。香椎線と同様の経緯で西日本鉄道を経て国有化され香椎線旅石支線となったが、須恵町内の志免 - 旅石間は1960年に廃止され、残りの区間は1985年に廃止されている。
バス路線
[編集]- 西日本鉄道(西鉄バス) - 隣接する志免町・粕屋町・宇美町や、福岡空港および福岡市中心部と須恵町を結ぶ路線がある。
- 須恵町コミュニティバス - 町内を運行。
道路
[編集]高速道路
[編集]- 九州自動車道
- 須恵パーキングエリア/須恵スマートインターチェンジ
- ※ETC専用で車長6m以下の普通車と軽自動車のみ利用可能。当ICを利用できない場合の最寄りインターチェンジは福岡インターチェンジまたは太宰府インターチェンジ。
- 須恵パーキングエリア/須恵スマートインターチェンジ
県道
[編集]- 主要地方道
須恵町出身の有名人
[編集]- 渡辺具能(政治家、元衆議院議員)
- アヒト・イナザワ(ミュージシャン)
- 藤野正剛(元プロ野球選手)
- 三ヶ島かな(女子プロゴルファー)
- 郷ひろみ(歌手・俳優)
- 成田弘毅(山口放送アナウンサー)
- 有隅昭二(プロ野球審判員、元プロ野球選手)
脚注
[編集]- ^ 須惠村地方 , 海軍炭坑で知られた須惠村『糟屋郡地誌』香椎高等女学校地理教室編 (香椎高等女学校, 1937)
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、96頁。ISBN 9784816922749。