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Nelson(ネルソン)の確率力学を解説してみる

Last updated at Posted at 2025-07-20

はじめに

この記事では,Nelson(ネルソン)の確率力学(Stochastic Mechanics)を解説してみます。Nelsonの確率力学は,隠れた変数理論的アプローチ(多粒子拡張で非局所性を示す)であるにもかかわらず,インターネット上にあまり解説記事を見かけないので,本稿ではその概要を整理します。なお,この記事はChatGPT o3などのLLMを積極的に援用しています。LLMが苦手な方はご注意ください。


目次

  1. Nelsonの確率力学とは何か
  2. 歴史的背景
  3. 確率過程と伊藤解析の予備知識
  4. ミクロ拡散過程と前向き・後向き微分
  5. Fokker–Planck方程式およびSchrödinger方程式の導出
  6. 具体例:Nelsonの確率力学の一次元自由粒子と一次元調和振動子および水素原子への適用
  7. 実験的検証可能性と批判点(Wallstrom問題ほか)
  8. 現状の研究動向(2020–2025)
  9. まとめと展望
  10. 参考文献

nelsonの確率力学とは何か

Nelsonの確率力学(Stochastic Mechanics, 1966)は

「量子力学的粒子は、摩擦項をもたないBrown運動型のMarkov拡散として扱われる古典粒子である」

という視点を出発点とします。この枠組みでは,量子波動関数を確率密度 $\rho$ と確率流の位相 $S$ からなる複素確率振幅として扱い,対応する確率過程をMarkov型のBrown運動として定式化します。これにより,公理的仮定(平均加速度条件等)からSchrödinger方程式を導くことができます。従来の量子力学は波動関数やオペレーターを用いて現象を記述しますが,Nelsonの枠組みでは,粒子の運動をBrown運動のような確率微分方程式でモデル化し,そこからSchrödinger方程式を導き出します。このアプローチは量子力学の確率的な解釈を強調し,古典的な確率論のツールで量子現象を扱うことを可能にします。Nelsonの確率力学は,量子力学の隠れた変数理論の一種として位置づけられ,Bohmの量子ポテンシャルとは異なるアプローチを取ります。ただし,Wallstrom問題に代表される欠点も抱えています。


歴史的背景

Nelsonの確率力学は,1960年代にEdward Nelsonによって提唱されました。Nelsonはプリンストン大学の数学者で,Brown運動型の力学理論を拡張する形で量子力学を再構築しました。主な動機は,量子力学の確率性を古典的な確率過程で説明することにありました。

  • 起源: 1966年にNelsonが発表した論文「Derivation of the Schrödinger Equation from Newtonian Mechanics」[3]では,Newton力学に拡散項を加えることでSchrödinger方程式が導出されることを示しました。これにより,量子力学を「確率的に揺らぐ古典粒子」のモデルとして解釈可能になりました。
  • 影響: この理論は,Feynmanの経路積分やBohmの隠れた変数理論と関連付けられ,量子力学の基礎論議に寄与しました。ただし,相対論的拡張や多粒子系での問題点が指摘され,主流の量子力学には取って代わっていません。
  • 発展: 1970年代以降,Eric Carlenや他の研究者によって拡張され,量子統計力学への応用が探求されています。

Nelsonの仕事は,量子力学の「不確定性」をBrown運動型のランダム性で置き換える試みとして,物理学と数学の境界領域で注目を集めました。


確率過程と伊藤解析の予備知識

1. Brown運動(Wiener過程)

Brown運動は,1827年にイギリスの植物学者Robert Brownが発見した現象です。彼は,水中に浮かぶ花粉の粒子がランダムかつジグザグに動くのを観察しました。これは,液体中の分子が粒子に衝突するランダムな力によるものです。この現象は物理学で重要ですが,数学的には「Wiener過程」としてモデル化されます。
Wiener過程は,連続時間 $t \geq 0$ で定義される確率過程 $(W_t)_{t \geq 0}$ です。これは「標準Wiener過程」または「標準Brown運動」と呼ばれ,以下の4つの性質を満たすものを指します:

1.初期条件:時刻 $t=0$ で $W_0=0$ である。
2.独立増分:任意の時刻 $0 \leq s<t$ に対して,増分 $W_t-W_s$ は,それ以前の増分(例:$W_u-W_v$ で $v<u \leq s)$ と独立である。つまり,過去の動きが未来の増分に影響を与えない。
3.正規分布の増分:増分 $W_t-W_s$ は,平均 0 ,分散 $t-s$ の正規分布(Gauss分布)に従う。つまり,

W_t-W_s \sim \mathcal{N}(0, t-s) \quad(1)

であり,ここで, $\mathcal{N}\left(\mu, \sigma^2\right)$ は平均 $\mu$ ,分散 $\sigma^2$ の正規分布を表します。
4.連続パス:$W_t$ の軌跡(パス)は連続関数ではありますが,微分不可能で非常にギザギザしています。
これらの性質により,Wiener過程は「ランダムな連続運動」を数学的に表現します。

2. 伊藤型確率微分方程式 (Stochastic differential equation, SDE)

前述のBrown運動は微分不可能なので,通常の微分方程式のように扱えません。そこで,伊藤型SDEという特殊な微分方程式を使って扱います。
伊藤型SDEを定義する前に,伊藤積分を知っておきましょう。通常の積分は $\int f(t) d t$ のように確定した関数を積分しますが,伊藤積分はWiener過程に対する積分です。伊藤積分は,時間区間を細かく分割して近似的に計算します。形式的に,プロセス $g(t)$ に対する伊藤積分は,

\int_0^T g(t) d W_t=\lim _{n \rightarrow \infty} \sum_{i=1}^n g\left(t_{i-1}\right)\left(W_{t_i}-W_{t_{i-1}}\right) \quad (2)

となります。ここで, $t_0=0, t_n=T$ と区間を分け,左端点 $g\left(t_{i-1}\right)$ を使うのが伊藤積分の特徴です。この積分は,ランダム変数になり,平均や分散が計算可能です。伊藤積分は,通常の積分と異なり,伊藤の公式(確率版のチェインルール)を使って扱います。これについては後で詳しく説明します。伊藤型SDEは,プロセス $X_t$ の微小変化 $d X_t$ を,確定部分(ドリフト)とランダム部分(拡散)で表します。標準的な形は,

dX_t=\mu\left(X_t, t\right) dt+\sigma\left(X_t, t\right) dW_t \quad (3)

です。ここで,

  • $X_t$ :時間 $t$ での状態
  • $\mu\left(X_t, t\right)$ :ドリフト項,平均的な変化率(確定論的部分)。例として,株価の平均成長率が挙げられます。
  • $\sigma\left(X_t, t\right)$ :拡散項,ランダムの強さ。例えば,株価の変動幅が挙げられます。
  • $d W_t$ :Wiener過程の微小変化(ランダムノイズ)で,平均0,分散 $dt$の正規分布として表される。

です。この方程式は,積分形で書くと:

X_t=X_0+\int_0^t \mu\left(X_s, s\right) d s+\int_0^t \sigma\left(X_s, s\right) d W_s \quad (4)

ここで,第一項の積分は通常の(Riemann)積分,第二項の積分は伊藤積分です。解釈の仕方は以下のようになります。

  • 短い時間 $dt$ で, $X_t$ の変化は平均 $\mu dt$ だけずれて,これに $\sigma$ 倍のランダムノイズ $d W_t$(これは $\sqrt{d t}$ オーダーの正規分布)が入ります。
  • 例 :もし $\mu=0, \sigma=1$ なら,これは単なるBrown運動 $X_t=W_t$ になります。

初期条件として $X_0$ が与えられると,適切な条件の下で,このSDEには一意な解(確率過程)が存在します。伊藤型SDEは3次元の場合に一般化できます。

3. 伊藤の公式

ここで,伊藤の公式を紹介します。これは,関数 $f\left(X_t, t\right)$ の変化を計算する確率過程版のチェインルールです。

もし $X_t$ が伊藤型SDEに従うなら, $f$ の微小変化は,

df=\left(\frac{\partial f}{\partial t}+\mu \frac{\partial f}{\partial x}+\frac{\sigma^2}{2} \frac{\partial^2 f}{\partial x^2}\right) d t+\sigma \frac{\partial f}{\partial x} d W_t \quad (5)

通常のチェインルールは

d f=\frac{\partial f}{\partial t} d t+\frac{\partial f}{\partial x} d X_t \quad (6)

ですが,伊藤版では,$\left(d X_t\right)^2=\sigma^2 d t$(高次項が無視できない)ので,余分な2階微分項 $\frac{\sigma^2}{2} \frac{\partial^2 f}{\partial x^2} d t$ が加わります。

4. Fokker–Planck方程式

マクロな視点では,多くの粒子の集団を考えると,位置 $x$ での確率密度関数 $\rho(x, t)$ が重要になります。$\rho(x, t) d x$ は,時刻 $t$ に粒子が $[x, x+d x]$ にある確率です。
Fokker–Planck方程式は,この $\rho(x, t)$ の時間発展を記述する偏微分方程式で,以下の形で書けます。

\frac{\partial \rho(x, t)}{\partial t}=-\frac{\partial}{\partial x}[\mu(x, t) \rho(x, t)]+\frac{1}{2} \frac{\partial^2}{\partial x^2}\left[\sigma^2(x, t) \rho(x, t)\right] \quad (7)
  • 左辺:密度の時間変化率。
  • 第1項:ドリフトによる移流(系統的な流れ)。
  • 第2項:拡散による広がり(ランダムな揺らぎ)。

これは拡散方程式の拡張です。単純拡散( $\mu=0, \sigma=$ 定数)の場合,

\frac{\partial \rho(x, t)}{\partial t}=\frac{\sigma^2}{2} \frac{\partial^2 \rho(x, t)}{\partial x^2} \quad (8)

となり,標準的な拡散方程式に帰着します。証明はしませんが,Fokker–Planck方程式を伊藤型SDEから導出することが可能です。


ミクロ拡散過程と前向き・後向き微分

Nelsonは,量子力学的粒子は,以下の2本のWiener過程でモデル化できると仮定しました。それは,前向き伊藤型SDE,

d \mathbf{X}_t=\mathbf{b}_{+}\left(\mathbf{X}_t, t\right) d t+\sqrt{2 \nu} d \mathbf{W}_t, \quad (dt>0) \quad (9)

と後向き伊藤型SDE(同じ物理過程を時間を逆に見たとき)

d \mathbf{X}_t=\mathbf{b}_{-}\left(\mathbf{X}_t, t\right) d t+\sqrt{2 \nu} d \mathbf{W}_t^{(-)}, \quad (dt<0) \quad (10)

です。ただし,

\nu=\frac{\hbar}{2m} \quad(11)

です。ここで$\nu$は位置過程の等方拡散を設定するパラメータ(拡散係数)です。また,(9)式の$ \mathbf{b}_{+}\left(\mathbf{X}_t, t\right) $ と,(10)式の$ \mathbf{b}_{-}\left(\mathbf{X}_t, t\right) $はドリフト項を表します。Nelsonは,任意の十分滑らかな関数 $ f(x,t) $に対し,平均微分演算子

\begin{aligned}
& D_{+} f\left(\mathbf{X}_t, t\right) \equiv \lim _{\Delta t \rightarrow 0^{+}} \mathbb{E}\left[\left.\frac{f\left(\mathbf{X}_{t+\Delta t}, t+\Delta t\right)-f\left(\mathbf{X}_t, t\right)}{\Delta t} \right\rvert\, \mathbf{X}_t\right] \quad (12) \\
& D_{-} f\left(\mathbf{X}_t, t\right) \equiv \lim _{\Delta t \rightarrow 0^{+}} \mathbb{E}\left[\left.\frac{f\left(\mathbf{X}_t, t\right)-f\left(\mathbf{X}_{t-\Delta t}, t-\Delta t\right)}{\Delta t} \right\rvert\, \mathbf{X}_t\right] \quad(13)
\end{aligned}

を導入しました。ここで伊藤の公式を使うと,

\begin{aligned}
& D_{+} f(\mathbf{X}_t, t)=\partial_t f(\mathbf{X}_t, t)+\mathbf{b}_{+}(\mathbf{X}_t, t) \cdot \nabla f(\mathbf{X}_t, t)+\nu \nabla^2 f(\mathbf{X}_t, t) \quad (14) \\
& D_{-} f(\mathbf{X}_t, t)=\partial_t f(\mathbf{X}_t, t)+\mathbf{b}_{-}(\mathbf{X}_t, t) \cdot \nabla f(\mathbf{X}_t, t)-\nu \nabla^2 f(\mathbf{X}_t, t) \quad(15)
\end{aligned}

となります。また,$ D_{+} $と$ D_{-} $を座標$ \mathbf{X}_t $に作用させると,

\begin{aligned}
& D_{+} \mathbf{X}_t=\mathbf{b}_{+} \quad (16) \\
& D_{-} \mathbf{X}_t=\mathbf{b}_{-} \quad (17)
\end{aligned}

となります。


Fokker–Planck方程式およびSchrödinger方程式の導出

確率密度 $\rho(\mathbf{x}, t)$ について,前向き伊藤型SDE (9)から,

\partial_t \rho+\nabla \cdot\left(\rho \mathbf{b}_{+}\right)=\nu \nabla^2 \rho \quad (18)

というFokker–Planck方程式が導かれ,また同じ過程を過去から見る後向き伊藤型SDE(10)から,

\partial_t \rho+\nabla \cdot\left(\rho \mathbf{b}_{-}\right)=-\nu \nabla^2 \rho \quad (19)

というFokker–Planck方程式が導かれます(証明は割愛します)。ここで,(18)式と(19)式を足して2で割ることで,

\partial_t \rho+\nabla \cdot\left(\rho \frac{\mathbf{b}_{+}+\mathbf{b}_{-}}{2}\right)=0
\quad (20)

という式が導かれます。ここで,流れ速度場を,

\mathbf{v} \equiv \frac{1}{2}\left(\mathbf{b}_{+}+\mathbf{b}_{-}\right) \quad (21)

と定義します。こうすると,(20)式は,

\partial_t \rho+\nabla \cdot(\rho \mathbf{v})=0 \quad (22)

となります。これは流体力学でおなじみの連続の方程式(確率保存式)にほかなりません。また,(18)式から(19)式を引いて2で割ると,

\nabla \cdot\left(\rho \frac{\mathbf{b}_{+}-\mathbf{b}_{-}}{2}\right)=\nu \nabla^2 \rho \quad (23)

なる式が現れます。ここで,拡散速度場を,

\mathbf{u} \equiv \frac{1}{2}\left(\mathbf{b}_{+}-\mathbf{b}_{-}\right) \quad (24)

で定義すると,(23)式は,

\nabla \cdot(\rho \mathbf{u})=\nu \nabla^2 \rho \quad (25)

となります。(25)式から,ベクトルポテンシャルを$\mathbf{A}$として,

\rho \mathbf{u}=\nu \nabla \rho+\nabla \times \mathbf{A} \quad (26)

を得ますが,単連結領域かつ無限遠で十分減衰という条件を仮定すると,$\mathbf{A} = \mathbf{0}$とでき(またこの条件では渦なし$\nabla \times \mathbf{v}=\mathbf{0}$が自動的に成り立ちます),「自然な」選択として,

\mathbf{u}=\nu \nabla \ln \rho \quad (27)

が導かれます(ここで$\mathbf{A} \neq \mathbf{0}$を許すと,渦有り解や位相の多価性をもつ解が現れる可能性があり,これがWallstrom問題と結びつきます。後述)。ここで,Nelsonは,

\mathbf{a} = \frac{1}{2}\left(D_{+} D_{-}+D_{-} D_{+}\right) \mathbf{X}_t \quad (28)

の$ \mathbf{a} $を,「対称平均加速度」と定義しました。(28)式を(14)式,(15)式を用いて展開し,整理すると,

\mathbf{a} = \partial_t \mathbf{v}+(\mathbf{v} \cdot \nabla) \mathbf{v}-(\mathbf{u} \cdot \nabla) \mathbf{u}-\nu \nabla(\nabla \cdot \mathbf{u}) \quad (29)

が得られます。ここで,古典的なNewtonの運動方程式,

m \mathbf{a}=-\nabla V \quad (30)

に (29)式を代入すると,

m\left[\partial_t \mathbf{v}+(\mathbf{v} \cdot \nabla) \mathbf{v}-(\mathbf{u} \cdot \nabla) \mathbf{u}-\nu \nabla(\nabla \cdot \mathbf{u})\right]=-\nabla V \quad (31)

となります(なお,(31)式がNelsonの確率力学の核心的仮定です)。(31)式に(27)式を代入し,整理すると,

m\left[\partial_t \mathbf{v}+(\mathbf{v} \cdot \nabla) \mathbf{v}\right]=-\nabla\left(V-2m\nu^2 \frac{\nabla^2 \sqrt{\rho}}{\sqrt{\rho}}\right) \quad (32)

となります。かなりすっきりしましたが,まだ非線形項が存在するので,非線形項を消去するために解の形を限定します。すなわち,連続の方程式(22)式は流体力学型であり,渦なし領域を仮定すればスカラー$S$が存在するので,

\mathbf{v}=\frac{\nabla S}{m} \quad(33)

と書き直すことが可能です。ここで,

\partial_t \mathbf{v}+(\mathbf{v} \cdot \nabla) \mathbf{v}=\frac{1}{m}\left[\nabla\left(\partial_t S\right)+\frac{1}{m} \nabla\left(\frac{(\nabla S)^2}{2}\right)\right] \quad(34)

となる(ここで、渦なしの仮定、つまり$\nabla \times \mathbf{v}=\mathbf{0}$を使いました)ので,結局(32)式の左辺は,

m\left[\partial_t \mathbf{v}+(\mathbf{v} \cdot \nabla) \mathbf{v}\right]=\nabla\left[\partial_t S+\frac{(\nabla S)^2}{2 m}\right] \quad (35)

となります。(35)式を(32)式に代入し,両辺を積分し整理すると,

\partial_t S+\frac{(\nabla S)^2}{2 m}+V-2m\nu^2 \frac{\nabla^2 \sqrt{\rho}}{\sqrt{\rho}}=0 \quad (36)

となります。ここで、積分定数として時間関数$C(t)$が現れますが,$C(t)$は$S$あるいは$V$どちらへも吸収可能です。ここでは、$S$を$S+mC(t)$と置き換えるゲージで吸収します。さらに,(36)式に(11)式を代入すれば,

\partial_t S+\frac{(\nabla S)^2}{2 m}+V-\frac{\hbar^2}{2 m} \frac{\nabla^2 \sqrt{\rho}}{\sqrt{\rho}}=0 \quad (37)

が得られます。(37)式は、解析力学で出てくる(古典)Hamilton-Jacobi方程式に似た形をしていますが、(37)式の左辺第4項は(古典)Hamilton-Jacobi方程式には存在しない項で、このため、(37)式は量子Hamilton-Jacobi方程式あるいは修正Hamilton-Jacobi方程式と呼ばれます。ここで、

Q \equiv -\frac{\hbar^2}{2 m} \frac{\nabla^2 \sqrt{\rho}}{\sqrt{\rho}} \quad (38)

と定義され、$Q$は量子ポテンシャル項と呼ばれます。この$Q$を間接的に測定する実験が提案されています(後述)。ここで,(37)式と,(22)式に(33)式を代入した式,

\partial_t \rho+\nabla \cdot\left(\rho \frac{\nabla S}{m}\right)=0 \quad (39)

は,Schrödinger方程式にいわゆるMadelung変換を施した式そのものです。すなわち,

\psi(\mathbf{x}, t)=\sqrt{\rho(\mathbf{x}, t)} e^{i S(\mathbf{x}, t) / \hbar} \quad (40)

と仮定してSchrödinger方程式

i \hbar \partial_t \psi=-\frac{\hbar^2}{2 m} \nabla^2 \psi+V \psi
\quad (41)

に代入し,実部と虚部に分けて整理すると,実部に(37)式が現れ,虚部に(39)式が現れます。これは,ミクロ拡散過程(2本のWiener過程)からSchrödinger方程式が導かれたことを意味します。また逆に,得られた$\psi$から元の拡散過程のドリフトを再構成することもできます。実際,量子力学的粒子についてSchrödinger方程式の解,つまり波動関数$\psi(\mathbf{x}, t)$が求まったならば,その量子力学的粒子の運動は

\begin{aligned}
& \mathbf{b}_{+}(\mathbf{x},t)=\dfrac{\hbar}{m}\left[  \operatorname{Re}%
\dfrac{\nabla\psi(\mathbf{x},t\mathbf{)}}{\psi(\mathbf{x},t\mathbf{)}%
}+\operatorname{Im}\dfrac{\nabla\psi(\mathbf{x},t\mathbf{)}}{\psi
(\mathbf{x},t\mathbf{)}}\right] \quad (42) \\
& d\mathbf{X}_{t}\mathbf{=b}_{+}(\mathbf{X}_{t},t\mathbf{)}dt+\sqrt{\dfrac{\hbar
}{m}}d\mathbf{W}_{t} \quad (43)
\end{aligned}

なる伊藤型SDEに従うことが分かります(導出は省略します)。


具体例:Nelsonの確率力学の一次元自由粒子と一次元調和振動子および水素原子への適用

1. 一次元自由粒子

ポテンシャル$V = 0$の一次元自由粒子の場合,よく知られているように,波動関数は,

\psi\left(  x,t\right)  =ae^{i\left(  kx-\omega t\right)  } \quad (44)

ここで,$a$は規格化定数,$k$は波数,

\omega=\dfrac{\hbar k^{2}}{2m} \quad (45)

です。(44)式を,(42)式に代入すると,一次元問題なので,

b_{+}\left(  x,t\right)  =\dfrac{p}{m} \quad (46)

が得られます(ここで,$p = \hbar k$を用いました)。従って,(43)式は,

dX_{t}=\dfrac{p}{m}dt+\sqrt{\dfrac{\hbar}{m}}dW_{t} \quad (47)

となります。ここで,$\hbar = m = 1$とし,$p = 1$としたときの,量子力学的粒子の運動をシミュレーションをしてみましょう(ただし,初期条件として$X_0 = 0$を選びます)。SDEの数値解法にEuler-丸山法を用いると,シミュレーション計算のPythonコードは以下のようになります。

import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt
from matplotlib.animation import FuncAnimation

# -----------------------------
# Nelson stochastic mechanics:
# 1D free particle sample paths
# -----------------------------

np.random.seed(0)          # reproducibility

# Simulation parameters
v = 1.0                    # constant drift / probability flow
nu = 0.5                   # diffusion coefficient (ℏ = m = 1 ⇒ ν = ½)
dt = 0.05                  # time step
T = 10.0                   # total simulation time
steps = int(T / dt) + 1
N = 20                     # number of stochastic sample paths

t = np.linspace(0, T, steps)   # time array

# Generate stochastic trajectories
positions = np.zeros((N, steps))
for i in range(N):
    for k in range(1, steps):
        brownian = np.sqrt(2 * nu * dt) * np.random.randn()
        positions[i, k] = positions[i, k - 1] + v * dt + brownian

# Classical deterministic trajectory
x_classical = v * t

# Determine y-axis limits with margin
ymin = min(positions.min(), x_classical.min())
ymax = max(positions.max(), x_classical.max())
margin = 0.05 * (ymax - ymin if ymax != ymin else 1.0)

# Set up the figure
fig, ax = plt.subplots()
ax.set_xlim(0, T)
ax.set_ylim(ymin - margin, ymax + margin)
ax.set_xlabel("Time")
ax.set_ylabel("Position")
ax.set_title("Nelson Mechanics: 1D Free Particle\n20 Sample Paths + Classical Trajectory")

# Line objects
sample_lines = [ax.plot([], [], linewidth=1)[0] for _ in range(N)]
classical_line, = ax.plot([], [], linestyle='--', linewidth=2, label="Classical path")

ax.legend()

def init():
    for line in sample_lines:
        line.set_data([], [])
    classical_line.set_data([], [])
    return sample_lines + [classical_line]

def update(frame):
    for idx, line in enumerate(sample_lines):
        line.set_data(t[:frame], positions[idx, :frame])
    classical_line.set_data(t[:frame], x_classical[:frame])
    return sample_lines + [classical_line]

ani = FuncAnimation(
    fig, update, frames=steps, init_func=init, blit=True, interval=50
)

# Save animation as GIF
filename = "nelson_1d_free_particle.gif"
ani.save(filename, writer="pillow", fps=20)

filename

このPythonコードを実行すると,

nelson_1d_free_particle.gif

というアニメーションプロットが得られます(分かりやすいように20回の試行を行っています)。

2. 1次元調和振動子

ポテンシャル$V=\dfrac{1}{2}m\omega^{2}x^{2}$の一次元調和振動子の場合,基底状態の波動関数は,

\psi\left(  x,t\right)  =\left(  \dfrac{m\omega}{\pi\hbar}\right)  ^{\frac{1}{4}}\exp\left(  -\dfrac{m\omega}{2\hbar}x^{2}-\dfrac{i\omega}{2}t\right) \quad (48)

となるので,これを(42)式に代入すると,一次元問題なので,

b_{+}\left(  x,t\right)  =-\omega x \quad (49)

となり,(43)式は,

dX_{t}=-\omega X_{t}dt+\sqrt{\dfrac{\hbar}{m}}dW_{t} \quad (50)

となります。ここで,$\hbar = m = 1$とし,$\omega = 1$としたときの,量子力学的粒子の運動をシミュレーションをしてみましょう(ただし,初期条件として$X_0 = 5$を選びます)。SDEの数値解法にEuler-丸山法を用いると,シミュレーション計算のPythonコードは以下のようになります。

import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt

# ---------------------------------------------
# Nelson stochastic mechanics
# 1‑D harmonic oscillator – static plot version
# ℏ = m = ω = 1  ⇒  ν = 1/2
# SDE (forward): dX_t = - X_t dt + dW_t
# Initial condition: X(0) = 5  (all sample paths)
# Classical solution (v(0)=0):  x_cl(t) = 5 · cos t
# ---------------------------------------------

np.random.seed(0)  # reproducibility

omega = 1.0
nu    = 0.5

dt    = 0.01
T     = 10.0
steps = int(T / dt) + 1
N     = 20      # number of stochastic paths

# time array
t = np.linspace(0, T, steps)

# trajectories array – all paths start at 5
positions       = np.zeros((N, steps))
positions[:, 0] = 5.0
sqrt_dt         = np.sqrt(dt)   # because sqrt(2ν)=1 under ℏ=m=ω=1

# Euler–Maruyama integration
for i in range(N):
    for k in range(1, steps):
        dW              = sqrt_dt * np.random.randn()
        x_prev          = positions[i, k - 1]
        positions[i, k] = x_prev + (-omega * x_prev) * dt + dW

# classical trajectory: x(t) = 5 cos t
x_classical = 5 * np.cos(t)

# ------------------- plotting -------------------
fig, ax = plt.subplots(figsize=(8, 4.5))

# stochastic sample paths
for i in range(N):
    ax.plot(t, positions[i], lw=0.9, alpha=0.9)

# dashed classical path
ax.plot(t, x_classical, "k--", lw=2.0, label=r"Classical $5\cos t$")

ax.set_xlabel("Time $t$")
ax.set_ylabel("Position $x$")
ax.set_title("Nelson Mechanics - 1D Harmonic Oscillator (X0=5)\n20 Sample Paths vs Classical Trajectory")
ax.legend()
ax.grid(True, alpha=0.3)

plt.tight_layout()
plt.savefig("nelson_harmonic_static_paths_X0_5.png", dpi=120)
plt.show()

このPythonコードを実行すると,

nelson_harmonic_static_paths_X0_5.png

のようなプロットが得られます(分かりやすいように20回の試行を行っています)。$t=1$ぐらいまでは、概ね古典軌道に沿っているように見えますが、時間がたつと急速に$x=0$の近くでのランダムノイズ(量子ゆらぎ)のみの定常運動となることが分かります。これは、Ornstein–Uhlenbeck過程の定常分布$\mathcal{N}\left(0, \sigma^2=1 / 2\right)$への収束そのものです。

3. 水素原子

拙作のSchracVisualize2というコードで,Nelsonの確率力学を水素原子に適用したときの三次元可視化を行えます。バイナリのダウンロードはこちらからできます。

このプログラムで、水素原子の基底状態(1s状態)の電子の運動をNelsonの確率力学で三次元可視化したときのプロットは以下のようになります。

SchracVisualize_1s.jpg

ここで、上図は水素原子の1s状態の電子密度の近似と見なせます。なぜなら、水素原子の1s状態のような「束縛かつ定常」状態では、対応するMarkov拡散過程がエルゴード的で不変密度を持つため、単一軌跡の長時間平均が電子密度に収束することを証明できるからです(証明は割愛します)。

実験的検証可能性と批判点(Wallstrom問題ほか)

1. Wallstrom問題

T.C. Wallstromは,1989年,Nelsonの確率力学では「位相の量子化条件」を導けないことを指摘しました[6]。Wallstromが指摘した「位相の量子化条件」とは次のようなものです。波動関数を(40)式のように書けるとき,$\psi(\mathbf{x}, t) \neq 0$の領域で位相 $\theta=S / \hbar$ を連続に定義できます。従って任意の閉曲線$C$($\psi=0$の節点集合を避けるように選んだもの)に沿って

\oint_C \nabla S \cdot d \boldsymbol{\ell}=2 \pi n \hbar \quad(n \in \mathbb{Z}) \quad (51)

が成り立つことが標準量子力学では要求されます(波動関数の一価性)。ところがNelsonの確率力学で得られる二つの方程式((37)式と(39)式)だけでは,上記の循環量が離散値$2 \pi n \hbar$に量子化される根拠が内部からは出ず,連続的な循環(量子力学的にあり得ない解)を許してしまう可能性があります。これがWallstrom問題です。実際,(51)式の条件を外から追加しないと,(37)式と(39)式は,量子力学とは広すぎる階層の方程式系になり,量子力学に存在しない解を許してしまいます。この問題を解決するため,ZitterbewegungやDerakhshani[4]らは,スピンを導入して自然な量子化を行うことを提案していますが,まだ統一的合意には至っていません。

2. 実験による検証

実際に,干渉計実験や超冷却原子などにより,量子ポテンシャル$Q$を測定する提案がされています。ただし,ここで注意したいのは,ここで言う「量子ポテンシャル」は$\psi = \sqrt{\rho} e^{i S / \hbar}$の振幅$\sqrt{\rho}$から定義される二次的(導出)量であって固有の観測量ではないことです。実際に提案されているのは,干渉計や弱測定などで波動関数(あるいは位相勾配)を再構成し,そこから量子ポテンシャルを再計算する試みであり,Nelsonの確率力学そのものに特有の「独立の直接検証」が既に確立した,という意味ではありません。現状,Nelson理論と標準量子力学を明確に区別できる決定的実験結果は報告されていません

3. 他の批判

問題点 概要
測度論的厳密性 Markov過程の位相空間などの無限次元化で技術的困難が残る。
相対論的不変性 Klein–GordonやDirac方程式への拡張は提案段階。最近、曲がった時空への試みあり。
多体問題 対称性と交換統計(Fermi統計,Bose統計)をどう組み込むかは未完の問題となっている。

現状の研究動向(2020–2025)

  1. 曲がった時空での確率力学
    • Klein–Gordon方程式導出を報告(2025)[7]。
  2. Pseudo-random deterministic processの導入で確率を隠れ決定論に置換[8]。
  3. Computational Stochastic Mechanicsによる束縛状態数値解[9]。
  4. Wallstrom問題への一連の回答:ZSM, de Broglie復権など活発化している。

まとめと展望

Nelsonの確率力学は古典運動+$\hbar$による量子ゆらぎというシンプルな観点から量子力学を再構築しています。そして,確率過程を導入することで「粒子の軌道」を保ちながら干渉や量子ポテンシャルを自然に説明できます。一方で,位相の量子化条件と多体・相対論的拡張に課題が残ります。また,近年は曲がった時空への拡張や計算物理への応用で新展開があります。しかし,決定的実験が未達成であるため,今後は高精度干渉実験が鍵となります。Nelsonの確率力学は依然として未解決課題を多く抱える研究フロンティアであり,理論・数値・実験の三位一体での進展が期待されます。


参考文献

[1] 保江邦夫『量子の道草』日本評論社(1999).
[2] 保江邦夫『Excelで学ぶ量子力学 量子の世界を覗き見る確率力学入門』講談社〈ブルーバックス〉(2001).
[3] E. Nelson, “Derivation of the Schrödinger Equation from Newtonian Mechanics”, Phys. Rev. 150, 1079 (1966).
[4] A. Derakhshani, “A Suggested Answer to Wallstrom's Criticism: ZSM II”, arXiv:1607.08838 (2016).
[5] I. Schmelzer, “An answer to the Wallstrom objection against Nelsonian stochastics”, arXiv:1101.5774 (2010).
[6] T.C. Wallstrom, "Inequivalence between the Schrödinger equation and the Madelung hydrodynamic equations", Phys. Rev. A 49, 1613 (1994).
[7] D. Bassi et al., “Fundamental Klein–Gordon Equation from Stochastic Mechanics in Curved Spacetime”, Found. Phys. 55, 60 (2025).
[8] L. Bourges, “A pseudo-random and non-point Nelson-style process”, arXiv:2504.21073 (2025).
[9] N. Lynd, “Computational Stochastic Mechanics of a Simple Bound State,” arXiv:2504.08669 (2025).

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